”強烈な存在スペシャル” チョ・グォン(2AM) [強心臓]
JCです。
このブログのマイカテゴリーに ”強心臓” を入れましたが
ずっと放置状態で(汗)
今回ようやく1本できましたのでUPしたいと思います。
少々長いですけど
凄くいい話しなのでよかったら読んでみてくださいませ。
***********************************
強心臓 ”強烈な存在スペシャル” より
2010年ゴールドミスター賞、芸能大賞4冠王!! カメオ皇太子 チョ・グォン(2AM)
グォン:僕のおふざけを狙っている後輩も多いようです。
イスンギ:第2のチョ・グォン
グォン:僕はそんな話を聞いても焦ったりしません。
なぜなら僕が断然トップだから。
2010年 三大おふざけ
Wonder Girls のパロディ
Wonder Boys
Brown Eyed Girls のパロディ
汚いEyed Girls
JYP 年末ファミリーコンサートのポスター
社長(ジニョン)を差し置いてセンターに
「彼女は何も言わなかった・・その彼女とは一体 誰?」
カンホドン:芸能界の宝です。ウルトラおふざけグォ ~ チョ・グォン!!
グォン:
13歳で練習生になって20歳でデビューしました。テレビのオーディション番組に受かって
オーディションを受けて合格した当時も 大変な注目を浴びてデビューすればスターみたいに僕もいつかなれるだろう そんな夢を抱いて練習を始めました。同じ事務所にいる友人も常にライバルで僕より才能のある人もたくさんいました。僕より先にデビューしたWonder Girlsのソネも、ある瞬間気づいてみると僕はすごく冷遇を受けている気がしたんです。なぜなら4年が過ぎて6年が過ぎてもジニョンさんからよかったとも悪かったとも何のコメントももらえなかったんです。練習生に将来の約束は何もないんです。いつデビューできるかもわからずいつも影に隠れている感じを受けました。そんな辛かった時にダンスグループをデビューさせるという告知が練習生に知らされたんです。ドゥジュン君も僕と同じ候補でした。2人ともJYPの練習生だった。でも結局僕は外されました。外されて決まったメンバーが今の2PMのメンバー。僕は本当にものすごく辛かったです。このチャンスを逃したらもう7年目なのに・・・だからといってデビューできる保証もない。夢をおいかけていたから。でも僕がその夢を選んだので不安に押しつぶされそうでした。あきらめたくなるたびに、いつも支えてくれたのは僕の両親でした。実は本当に多くの練習生の親が事務所に来ました。娘をBoAみたいにしてくれるんでしょう? 息子をRainに育てるんでしょう? そう言いながら抗議をする両親を見ていて、よく考えてみたら8年の練習生活で僕の父と母は一度も事務所に不満を訴えたことがなかったんです。ある日はスランプに陥りこれが僕の道なのか、自分の夢に向かってきたのに・・・両親にも悪いことをしていると思いました。あまりにも辛くて死んでしまいたかった。胸が痛かった。母に電話をかけました。辛くて無理だと。母に言ったら、母は、“まだバスがあるから帰ってきなさい。でもあなたが後悔すると思うなら来なくていい。お母さんは今まで通りいつもあなたの側にいるから”と そう言ってくれたんです。電話を切ってからすごく後悔しました。僕もこんなに辛いのに8年間も何も文句を言わずに見守ってくれた両親は僕よりもっと胸が痛んだはずだと。それでさらに歯を食いしばって練習を再開したんです。それでようやく2AMでデビューしました。
必死で努力して頑張ってすばらしい歌手になります
8年間を待った末に夢を叶えたグォン!!
3年でチャートを席巻! 最高のグループに成長!
2010年 最高の歌手に
両親への思いで涙まみれになった日
カンホドン:デビューした日は喜んだでしょう
イ・スンギ:そうだったはず どうでした?
グォン:
その日ですが、ジニョンさんが母に 感謝していると 本当に長い時間信じて息子を預けて何も言わずに見守ってくれた母を尊敬すると ジニョンさんが初めて母に言ったんです。その時に母が泣いてました。ありがとうございますと
カンホドン:今は思い出だと言えるグォン君が誇らしいです。
~こうして話せるグォンの美しい心~ もっと偉大なお母さん ~
カンホドン:最近、チョ・グォンさんが、お母さんに家を買ってあげたそうです。
~親孝行者のチョ・グォン~
イ・スンギ:グォン君のご両親には本当に自慢の息子ですね
グォン:
でも それまで10年以上 うちの3人家族は一間で暮らしていたんです。家計が苦しくなって小学校3~4年生まではマンションの11階に住んでいたけれど、ある日引越しをすると言われたんです。僕は引っ越すこと自体がうれしくて、ふざけて踊って骨盤も回して 父の前で それからは一間で3人家族が暮らしました。それからデビューをして初めて給料が入ったんです。すごく気分がよかった。20万ウォンが入ったんです。親孝行しなくちゃと思い家に帰ったら冬だというのに母が冷たい水で髪を洗ってたんです。どうしたのか聞いたら ボイラーが壊れたのに大家さんが うちが出て行かないと家の工事ができないと言ったそうで でも20万では引越しができないんです。デビューはしたけど、あまりにも申し訳なかった。父も母もすごく高齢だし、それで誓ったんです。バラエティーもすべてのイベントも何でも入れてくれとマネージャーに頼みました。体が壊れるほど働いてでも助けになりたくて・・・(いつも笑顔のグォンの胸にこんな涙が・・・)ファンの方々は事務所に働かせすぎだと抗議したけど、すべて理由があったんです。でもその時はいつも明るい子でしたが僕のおふざけキャラが売れるために作ったものだと言われた。でも僕は地下の一間で暮らしている時も父と母の前ではおどけて明るい子だったんです。それをテレビで披露して必死に歯を食いしばったんです。一間までやってきた借金取りが父と母に暴力を振るって母は耳が聞こえなくなり・・・でも僕は何もできなかった。あまりにも幼くて・・・怖くて。そんな時に頼れた人がソネ(Wonder Girls)でした。彼女も家の事情でおばあさんと暮らしてた。互いにいつか必ず家を買おうと誓いました。ソネが先におばあちゃんに家を買ってあげた姿を見てすごく慰めになりました。励みにもなったし。ようやく事務所から連絡が来ました。僕にすごい量のCMが入ったと。それで引越しもできなかったのが練習生の時から合わせて約10年で家をプレゼントできて不思議なことに昔も11階に住んでいたと言いましたけど偶然にもまた11階に引越しました。本当によかった。
――自慢の息子グォンのお話――
イ・スンギ:本当に感心です。
グォン:
母が引越しの日も泣きながら僕がいなかったら人生をあきらめていたはずなのに、僕一人のためにこうやって耐えたと、両親に親孝行ができて本当に本当にうれしかったです。
カンホドン:このように韓国のアイドルは突然スターになったわけではありません。最後まで耐えられるのは根性なんです。ドゥジュンさん(BEAST)、目がうるんでますけど、ご両親に何かしましたか?
ドゥジュン:僕はまだCMが少ないので・・・
カンホドン:まだなんだ。
ドゥジュン:でも給料はずっと両親に送っています。
カンホドン:みんな息子です。どうですか?
チョンボソク:みんなカッコよくて本当に韓国はまだ未来が明るいということが本当に感動的でした。自分の稼ぎを両親に贈る それが本当は簡単そうに見えて難しいんです。この場に一緒にいられて幸せです。
カンホドン:この涙と努力が今の韓流を生んだのではないか そう思います。
グォン: お父さん、お母さん
僕一人を見守ってくれて本当にありがとう。
これからは何の心配もなく
周りの人にも僕のことを自慢しながら幸せな長い時間を僕と過ごしてください
僕にはできます
花を咲かせられます
この痛みが過ぎればいつか
その日を信じているから
まだ夢があるから
今日が美しいです
このブログのマイカテゴリーに ”強心臓” を入れましたが
ずっと放置状態で(汗)
今回ようやく1本できましたのでUPしたいと思います。
少々長いですけど
凄くいい話しなのでよかったら読んでみてくださいませ。
***********************************
強心臓 ”強烈な存在スペシャル” より
2010年ゴールドミスター賞、芸能大賞4冠王!! カメオ皇太子 チョ・グォン(2AM)
グォン:僕のおふざけを狙っている後輩も多いようです。
イスンギ:第2のチョ・グォン
グォン:僕はそんな話を聞いても焦ったりしません。
なぜなら僕が断然トップだから。
2010年 三大おふざけ
Wonder Girls のパロディ
Wonder Boys
Brown Eyed Girls のパロディ
汚いEyed Girls
JYP 年末ファミリーコンサートのポスター
社長(ジニョン)を差し置いてセンターに
「彼女は何も言わなかった・・その彼女とは一体 誰?」
カンホドン:芸能界の宝です。ウルトラおふざけグォ ~ チョ・グォン!!
グォン:
13歳で練習生になって20歳でデビューしました。テレビのオーディション番組に受かって
オーディションを受けて合格した当時も 大変な注目を浴びてデビューすればスターみたいに僕もいつかなれるだろう そんな夢を抱いて練習を始めました。同じ事務所にいる友人も常にライバルで僕より才能のある人もたくさんいました。僕より先にデビューしたWonder Girlsのソネも、ある瞬間気づいてみると僕はすごく冷遇を受けている気がしたんです。なぜなら4年が過ぎて6年が過ぎてもジニョンさんからよかったとも悪かったとも何のコメントももらえなかったんです。練習生に将来の約束は何もないんです。いつデビューできるかもわからずいつも影に隠れている感じを受けました。そんな辛かった時にダンスグループをデビューさせるという告知が練習生に知らされたんです。ドゥジュン君も僕と同じ候補でした。2人ともJYPの練習生だった。でも結局僕は外されました。外されて決まったメンバーが今の2PMのメンバー。僕は本当にものすごく辛かったです。このチャンスを逃したらもう7年目なのに・・・だからといってデビューできる保証もない。夢をおいかけていたから。でも僕がその夢を選んだので不安に押しつぶされそうでした。あきらめたくなるたびに、いつも支えてくれたのは僕の両親でした。実は本当に多くの練習生の親が事務所に来ました。娘をBoAみたいにしてくれるんでしょう? 息子をRainに育てるんでしょう? そう言いながら抗議をする両親を見ていて、よく考えてみたら8年の練習生活で僕の父と母は一度も事務所に不満を訴えたことがなかったんです。ある日はスランプに陥りこれが僕の道なのか、自分の夢に向かってきたのに・・・両親にも悪いことをしていると思いました。あまりにも辛くて死んでしまいたかった。胸が痛かった。母に電話をかけました。辛くて無理だと。母に言ったら、母は、“まだバスがあるから帰ってきなさい。でもあなたが後悔すると思うなら来なくていい。お母さんは今まで通りいつもあなたの側にいるから”と そう言ってくれたんです。電話を切ってからすごく後悔しました。僕もこんなに辛いのに8年間も何も文句を言わずに見守ってくれた両親は僕よりもっと胸が痛んだはずだと。それでさらに歯を食いしばって練習を再開したんです。それでようやく2AMでデビューしました。
必死で努力して頑張ってすばらしい歌手になります
8年間を待った末に夢を叶えたグォン!!
3年でチャートを席巻! 最高のグループに成長!
2010年 最高の歌手に
両親への思いで涙まみれになった日
カンホドン:デビューした日は喜んだでしょう
イ・スンギ:そうだったはず どうでした?
グォン:
その日ですが、ジニョンさんが母に 感謝していると 本当に長い時間信じて息子を預けて何も言わずに見守ってくれた母を尊敬すると ジニョンさんが初めて母に言ったんです。その時に母が泣いてました。ありがとうございますと
カンホドン:今は思い出だと言えるグォン君が誇らしいです。
~こうして話せるグォンの美しい心~ もっと偉大なお母さん ~
カンホドン:最近、チョ・グォンさんが、お母さんに家を買ってあげたそうです。
~親孝行者のチョ・グォン~
イ・スンギ:グォン君のご両親には本当に自慢の息子ですね
グォン:
でも それまで10年以上 うちの3人家族は一間で暮らしていたんです。家計が苦しくなって小学校3~4年生まではマンションの11階に住んでいたけれど、ある日引越しをすると言われたんです。僕は引っ越すこと自体がうれしくて、ふざけて踊って骨盤も回して 父の前で それからは一間で3人家族が暮らしました。それからデビューをして初めて給料が入ったんです。すごく気分がよかった。20万ウォンが入ったんです。親孝行しなくちゃと思い家に帰ったら冬だというのに母が冷たい水で髪を洗ってたんです。どうしたのか聞いたら ボイラーが壊れたのに大家さんが うちが出て行かないと家の工事ができないと言ったそうで でも20万では引越しができないんです。デビューはしたけど、あまりにも申し訳なかった。父も母もすごく高齢だし、それで誓ったんです。バラエティーもすべてのイベントも何でも入れてくれとマネージャーに頼みました。体が壊れるほど働いてでも助けになりたくて・・・(いつも笑顔のグォンの胸にこんな涙が・・・)ファンの方々は事務所に働かせすぎだと抗議したけど、すべて理由があったんです。でもその時はいつも明るい子でしたが僕のおふざけキャラが売れるために作ったものだと言われた。でも僕は地下の一間で暮らしている時も父と母の前ではおどけて明るい子だったんです。それをテレビで披露して必死に歯を食いしばったんです。一間までやってきた借金取りが父と母に暴力を振るって母は耳が聞こえなくなり・・・でも僕は何もできなかった。あまりにも幼くて・・・怖くて。そんな時に頼れた人がソネ(Wonder Girls)でした。彼女も家の事情でおばあさんと暮らしてた。互いにいつか必ず家を買おうと誓いました。ソネが先におばあちゃんに家を買ってあげた姿を見てすごく慰めになりました。励みにもなったし。ようやく事務所から連絡が来ました。僕にすごい量のCMが入ったと。それで引越しもできなかったのが練習生の時から合わせて約10年で家をプレゼントできて不思議なことに昔も11階に住んでいたと言いましたけど偶然にもまた11階に引越しました。本当によかった。
――自慢の息子グォンのお話――
イ・スンギ:本当に感心です。
グォン:
母が引越しの日も泣きながら僕がいなかったら人生をあきらめていたはずなのに、僕一人のためにこうやって耐えたと、両親に親孝行ができて本当に本当にうれしかったです。
カンホドン:このように韓国のアイドルは突然スターになったわけではありません。最後まで耐えられるのは根性なんです。ドゥジュンさん(BEAST)、目がうるんでますけど、ご両親に何かしましたか?
ドゥジュン:僕はまだCMが少ないので・・・
カンホドン:まだなんだ。
ドゥジュン:でも給料はずっと両親に送っています。
カンホドン:みんな息子です。どうですか?
チョンボソク:みんなカッコよくて本当に韓国はまだ未来が明るいということが本当に感動的でした。自分の稼ぎを両親に贈る それが本当は簡単そうに見えて難しいんです。この場に一緒にいられて幸せです。
カンホドン:この涙と努力が今の韓流を生んだのではないか そう思います。
グォン: お父さん、お母さん
僕一人を見守ってくれて本当にありがとう。
これからは何の心配もなく
周りの人にも僕のことを自慢しながら幸せな長い時間を僕と過ごしてください
僕にはできます
花を咲かせられます
この痛みが過ぎればいつか
その日を信じているから
まだ夢があるから
今日が美しいです
・・・・・(TωT)
T-maxのメンバーも それぞれ大変だったようだけれど、
グォンには勝てませんo(_ _*)o
(って。結局 比較対象はT-maxに行き着いてしまいます^^;)
頑張ってるコは、ますます応援したくなっちゃうね (*^-^)b
by kimi (2011-04-09 21:08)
それまで散々ふざけて踊っていたグォンがこんな話をしだしたんです。
言葉がありませんでした。グォンも泣きながら話しているし・・・。
ホント、デビューできてよかった。
2PM ・2AM が選ばれた公開オーディション「熱血男児」で
グォンは一度脱落したのよ。
名前を呼ばれた時
ウヨンや2PMの他のメンバーが
脱落したとしてもオーディションは最後まで受けさせてやってほしいって
スタッフに頼んだ場面があってね
グォンが皆に「コマオォォ・・・」って大泣きしてさ
あの時、帰されていたら今のグォンはなかったと思います。
本人もそうとう努力したと思うけど 運 もあるよね~
by JC (2011-04-09 22:40)
だめだ~~、この年になると、この手の話にはマジ弱い・・・(T T)
グォン~~~~~~~!サランヘ~~(っえ?)
by H (2011-04-10 22:40)
Hさん、この時の「強心臓」でグォンは
お腹が痛くなるほどみんなを笑わせた後
この話しを泣きながらしたんですよ。
もうね、言葉が出ませんでした(泣)
by JC (2011-04-11 00:26)